第二仮説を建てる

見ないでください。

斉藤元彦はなぜ勝つのか?

■ネオ・反体制分子

現体制が何を指しているのか?世代間でも言葉のズレがある。誰が一番この国を動かす力を持っているのか?その認識が人によってまちまちである事でコミュニケーション祖語が起きる。それを意図的に利用して愉快犯が混乱を狙い、時に金儲けに乗せられて詐欺に遭う。

一番多いのは現体制がテレビメディアだと思っている人々だろう。ある人は朝日新聞社を恨み、またある人はNHKを恨む。しかしそれらは勘違いの最たる例だ。スケープゴート

斉藤元彦が暴君になってしまった事が問題なのに、斉藤元彦は暴君と戦う正義の騎士という古い物語が語られる。なぜか?答えは最初からウソだったからである。前回に作られた嘘のナラティブがまた目眩しに語られる。何度でも騙られる。

実生活が生活苦に追い込まれ、多くは現場に満足していない。この時、人は革命の様な国家再編を求める。これをシステムで構築したのが選挙である。故に反体制分子が反体制活動に身を投じるのは合法だし、流動性を高め進歩を促す為の重要な原動力だ。

しかしその活動自体に思い違いや間違いがあった場合、それは保証の対象外だ。

社会主義者に政治を委ねたのに、奪われるばかりでなんのサポートも無い、騙された、なんてことは始終ある。それを意識的に詐欺としてはたらいているのが今巷で言われる民主主義の危機の意味だろう。

 

斉藤元彦を「推し活」してしまう人は、現体制の認知に歪みがあり、そこを洗脳選挙の手法に乗っ取られてしまっている。彼自身の仕事が反感と疑念を買い、内部通報や種々のトラブルの原因になった。それだけなら個人トラブルに巻き込まれただけと他人ヅラして切って捨て不幸な若人を推し活し続けるのもありというのが理屈だ。しかしこの人は重要な部分でなんの釈明も反省の弁も述べていない。その理由は時系列で追うと一目瞭然で、意図的に悪意を振り撒いていたからだ。ごめんなさいといってしまうとやめなくてはいけなくなる。

更に、「推す人」は選挙候補者が適格者である事にさほど注意を払っていない。

選挙において、被選挙人が選挙される役職と実作業内容の確認、被選挙人の適格さの他に、正しい有権者と被選挙人の関係とは何なのかということをもう一度確認する必要がある。

笑っていたり、終わったらすぐ忘れてしまうではダメである。今後も民主主義を続けるのであれば、システムの改変と教育を義務付ける必要がある。少なくとも多くの人々が学ぶ必要がある。

体制の思いのままに現行を変化させなければ、民主主義は終わりである。体制の思いのままに改変、改悪してもまた、民主主義は終わりである。何もしていないのに我々は、重大事態な岐路に立ち会っているのだ。